全ての人が安心して働けるように:強制労働と向き合って
Tweet日々の生活の中で「人権」や「強制労働」を意識する機会はあまりないかもしれません。しかし、スマートフォンや衣服、野菜や穀物、加工食品など日常生活に欠かせない商品と人権は密接に関係しています。このことを知れば、もっと身近な課題として感じることができるかもしれません。
そこで、ビジネスと人権リソース・センターの日本代表およびリサーチャーである佐藤暁子さんをお招きし、多岐に渡る「人権」のトピックの中でも「強制労働」に焦点を当て、その課題が意味するもの、企業の取り組み先行事例、そして企業評価と投資家対話がもたらす好循環についてお話を伺いました。
私たちの身近に存在する強制労働とは?
強制労働を簡単に説明すると、「自分の自由意志に基づかずに労働を強いられている状況」を表しています。
例えば、スマートフォンをはじめとする様々な電子製品に使用されるリチウムイオン電池の原材料の一つがコバルトです。世界のコバルト生産の半分以上はコンゴ民主共和国で行なわれており、生産現場での児童労働や強制労働の実態を投資家含め各ステークホルダーが問題視しています。気候変動への対応を進める中で、リチウムイオン電池が活用される機会は更に増えると予想されますが、低炭素への移行を実現すると同時に原材料調達を通じた労働者への影響も念頭に入れることが重要となります。
こうした強制労働の現場は、実は日本国内でも起きています。日本には「技能実習生」という形で来日した外国の方が、多額の仲介料の支払いで借金返済に苦しめられたり、本人とは別の場所にパスポートが保管されたりすることによって、強制労働から抜け出せない状況が問題視されています。日本政府によるビジネスと人権に関する行動計画(NAP:National Action Plan on Business and Human Rights)を含め、こうした問題への認識と解決に向けた取り組みは始まっているものの、食品加工産業や農業など、技能実習生の受け入れ対象となっている産業で、強制労働のリスクが構造的に存在していることを意識する必要が生じています。
各社の強制労働対応を評価するKnowTheChainベンチマーク
ビジネスと人権リソース・センターでは、このような「強制労働」を含め、幅広く企業活動と人権に関する情報収集と情報発信を行なっています。発信だけではなく、第三者機関と連携し、企業と投資家間の人権課題に関する対話を促進する役割を担うことがあります。この取り組みの一つが、KnowTheChain(ノウ・ザ・チェーン)というイニシアチブです。
KnowTheChainでは、特に原材料調達や生産過程において強制労働が生じるリスクが高いとされるICT、アパレルとフットウェア、飲食業の3業種を対象に、どのように強制労働のリスクを管理しているかを7つのテーマに基づいて評価、公に情報提供をしています。 7つのテーマは、1)強制労働の課題に取り組む意志を明確にしたコミットメントとガバナンス体制、2)サプライチェーンの中でそのリスクを軽減するためのトレーサビリティの向上やサプライヤーのリスク評価、3)調達行動、4)採用活動の在り方、5)労働者の生の声を聴く仕組みの導入、6)現状のモニタリング、そして7)問題が生じた際に迅速に対応できる救済措置の設置、から構成されています。
強制労働への企業の取り組み先進事例
なぜ7つのテーマに基づいた企業行動を評価し、投資家に提供しているのでしょうか。より分かりやすくするために、実際の企業の取り組み好事例をいくつかご紹介します。
アメリカのアパレル大手であるVF Corporation社は、サプライヤーの名称と住所を第4次サプライヤーまで開示しており、調達における透明性、トレーサビリティ、そして開示できる程の提携関係を築いていることを表しています。多くの企業がまだ第1次サプライヤーの公開に取り掛かっている中、非常に先進的な取り組みです。
また、KnowTheChain評価のアパレルセクターで最高評価を得たlululemon athletica(ルルレモン・アスレティカ)社は、台湾のサプライヤーと協力して、就職や求職活動の際に労働者自身の負担する費用が発生しない仕組みを作り出すためのプログラムを実施し、この取り組み内容を公開しています。先に述べた就労者の自由を奪うリスクを軽減する先進的な取り組みと言えます。
KnowTheChainのベンチマークにおける日本の評価を見ると、特に飲食業界では他国に比べて取り組みが伸び悩んでいる様子が見られます。一方で、ICT業界ではソニーグループ、アパレルではファーストリテイリングなどがセクター内での相対的高い評価を得ています。
個別テーマにおける日本企業の取り組みの好事例をいくつかご紹介しましょう。ICT業界に位置するパナソニックでは、サプライヤーとの「取引基本契約書」の中で強制労働を含む人権課題に触れ、不当な雇用を行なうサプライヤーとの取引禁止を明記しており、その内容を公開しています。任天堂では、労働者のプライバシーが確保された状況で労働者の母国語での面談をするなど、労働者の生の声を聞き、実態を把握する取り組みが行なわれています。これらの情報はアンケート調査だけでは見えてきません。企業が労働者に直接ヒアリングして実態を理解することは非常に重要性であり、投資家としても着目していただきたい点だと佐藤さんは指摘します。
KnowTheChainを活用した投資家と企業行動の好循環
強制労働などの人権課題に取り組むべきという認識のある投資家も、どの程度具体性をもって企業と対話すべきか悩まれることも多いそうです。KnowTheChainをはじめとする評価フレームワークの項目と評価結果を参考にすることで、投資家は抽象論から具体的な個別の行動に関する対話ができ、対話の結果を客観的に確認することもできるようになります。
たとえば、評価対象企業であるアメリカのエナジー・ドリンク会社、Monster Beverage Corporation(モンスタービバレッジ)社は、2016年時点では強制労働への対応に関する情報が何も確認できず、評価点はゼロでした。そうした中、2018年に投資家はKnowTheChainの評価枠組みを活用し、サプライチェーンでの強制労働問題にどう対応しているか、情報開示を要請する株主提案をしました。以降、同社はサプライチェーンにおける強制労働方針や、その方針に基づく社内体制や研修の実施に関して情報を公開し、2020年のベンチマークでは26点の評価を得たのです。会社として取り組みを深める余地はまだあるものの、実のある進歩を促し客観的にその取り組みを明らかにしたエンゲージメントの事例と言えます。
すべての人が安心して働けることから始まる第一歩
強制労働を含めた人権課題の構造的な解決は、個別企業の努力だけでは難しい側面があります。そのため、ある程度時間を要することを投資家などのステークホルダーも理解する必要があります。困難な課題ではありますが、佐藤さんのアドバイスによると、考え方や動き方に工夫をすればこれまで例に挙げた大企業に限らず、中小企業も取り組みやすくなるそうです。
第一に、取り組む上での考え方。人権課題や強制労働と聞くとつい難しく考えてしまいがちです。これを、サプライヤーを含め、事業活動に関わる一人ひとりの労働者が安心して働ける環境を提供する、とシンプルに捉え、ハードルを下げることが始めの一歩となります。
日本の投融資機関に期待する対応
事例を紹介したように、日本企業の中でも強制労働課題に対応する取り組みの好事例が徐々に増えています。方針を掲げる企業が増えている一方、従業員一人ひとりがその方針内容に腑落ちして、日々の活動と結びつける状況には至っていません。そのため、投資家による働きかけは大きな意味があると考えられます。
世界的に気候変動対策に対して資金が投入される中、強制労働のリスクを孕むコバルトなどの原材料の需要も同時に増えています。つまり、環境課題解決に伴う強制労働など、社会面との関わりを意識することが投資家にもより求められるようになっているのです。投資家と企業双方のリスクを下げるためにも、現場の行動変容に繋がるような企業との対話力が金融機関には期待されています。
ビジネスと人権リソース・センターについて
ビジネスと人権リソース・センターは「ビジネスと人権」というテーマに着目し、企業の事業活動に関連した人権リスクに対する情報をポジティブ・ネガティブの両視点で発信しています。これらの情報は、2011年に承認された国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」に沿った内容となっています。
今回は人権課題の中でも特に「強制労働」の課題と取り組み事例を、評価を行なうKnowTheChainの視点からご紹介頂きました。「人権」には、採用する従業員のダイバーシティやインクルージョン、課題に声を挙げる従業員やNGOの匿名性や安全性の確保など、まだ多くの要素が含まれます。ビジネスと人権リソース・センターでは、これら人権全般の情報を国内外の視点から取り上げ、月例のニュースレターとして発信しておりますので、ぜひ活用ください。
取材日:2021年10月6日
※ナビゲーター及びゲストの肩書は当時のものです
ビジネスと人権リソース・センター https://www.business-humanrights.org/ja/
KnowTheChainの下記リンクより日本語でも各セクターのレポートをご覧いただけます。
https://knowthechain.org/translations/#japanese
※本テーマである「強制労働」に関しての質問をNarrative購読者の方々から事前に頂戴し、インタビュー収録および記事作成の際に活用させていただきました。
KnowTheChainについて
評価対象の日本企業は、イオン株式会社、株式会社アシックス、株式会社キーエンス、株式会社セブン&アイ・ホールディングス、株式会社日立製作所、株式会社ファーストリテイリング、株式会社ファミリーマート、株式会社村田製作所、キヤノン株式会社、京セラ株式会社、サントリーホールディングス株式会社、ソニーグループ株式会社、東京エレクトロン株式会社、任天堂株式会社、パナソニック株式会社、HOYA株式会社、明治ホールディングス株式会社(2021年10月時点、五十音順)。評価内容はセクター別にWebサイトで公開されている。
- イニシアチブのURL
- https://knowthechain.org/
- 創立年
- 2015年
- 署名機関リスト
- https://knowthechain.org/wp-content/uploads/KnowTheChain-investor-statement.pdf
- 評価先企業リスト
- https://knowthechain.org/company-lists/
- 対象となるセクター
- 食品・小売・電気・精密・情報通信・アパレル
Navigator:岸上有沙 Arisa Kishigami
2007年からサステナブル投資に関連した仕事に従事。2015~2019年にFTSE Russellのアジア・環太平洋地域ESG担当者を経て独立。現在は、JSIF理事、早稲田大学非常勤講師、Chronos Sustainability社スペシャリスト・アドバイザー、Responsible Investorコラムニスト等を通じて、企業とサステナブルなお金の流れの好循環作りに携わる。
「当たり前の企業活動として、関わる環境や社会に配慮した経営を行う企業を応援するお金の流れを作りたい。」
そうした問題意識を元に、投資判断ツールを提供する立場から、ESG評価構築、企業対話、スチュワードシップ調査など、2007年よりサステナブル投資に携わってきました。
いま、10年、20年前に比べて経済や金融活動の中で当たり前に環境や社会に関連した「ESG」要素を意識する様になったことは嬉しいことです。
一方で、それが単に高評価を得るためや時流だからではなく、それぞれのESG課題になぜ取り組む意義があるのかを考え、それぞれの立場で取捨選択していけることが大切だと思います。
星の数ほどESG課題が存在する中、複数の投資家の声を代表する様な個別課題に取り組むイニシアチブが各国で活発化しています。
日本の企業は、投融資関係者は、どの様にこうした課題を認識し、取組み、評価され、イニシアチブに関わっていくべきなのか。
言語の壁、文化の壁、発信の仕方の違い等により、各国投資家の関心および日本の投資家・企業の考えが上手く巡り合っていないこともあるかもしれません。
このNarrativeを通して、そうした各国イニシアチブへの理解を深め、賛同・参加・実践・建設的な意見を反映させるひとつの橋渡しとなることを期待しています。