現代奴隷の発見・対応・予防を促すアジア太平洋投資家、IAST APAC
Tweet「現代奴隷」。
言葉としては法規制との関わりの中で聞くことは多少あったとしても、あまり馴染みのない言葉ではないでしょうか。
幅広い「人権」課題の中で「現代奴隷」が何を指し、日本企業や投資家にどのように関係してくるのか。今回は奴隷および人身売買の課題に取り組むアジア太平洋地域の投資家イニシアチブ、Investors Against Slavery and Trafficking Asia Pacific(IAST APAC)に各々の立場で関わる3名の方をお招きして、現代奴隷の意味、法制化の流れ、投資家の取り組みに関して議論しました。
現代奴隷とは?世界で2番目の現代奴隷人口比率を抱えるアジア太平洋地域
現代奴隷とは、幅広い人権課題の中でも、最も深刻な搾取状態にある、強制労働、人身売買、児童労働、また、旧来からの奴隷制やそれに近い条件を強いられている状態を指します。他方、好ましくない労働条件、安価な労働など、他の労働基準法に触れるような状態は現代奴隷には含まれておりません。
「奴隷」と聞くと現代社会に存在しないと思いがちですが、残念ながら人権の侵害に繋がる現代奴隷は全ての業界、全ての国で生じる可能性があります。中でも広範で複雑なサプライチェーンを持つ大手企業は、そのリスクにさらされている確率が特に高いと考えられます。
現代奴隷の被害にあった当人は、精神的、身体的な暴力やトラウマを抱えるなど、大きな影響を受けるため、現代奴隷の実態は甚大な人権侵害および犯罪であると、現代奴隷に特化した情報提供とアドバイスを行なうWalk Free財団で金融セクターとの対話を担当するマシュー・コーラン(Matthew Coghlan)氏は言います。
そのWalk Free 財団が作成したGlobal Slavery Index 2018の報告書によると、アジア太平洋地域で現代奴隷の状態で生活し働いている人の数は2,500万人にも及んだと推計されています。1,000人あたりに6.1人の現代奴隷被害者が存在し、これはアフリカ大陸に次いで世界で2番目に高い水準だという調査結果です。
同地域の強制労働者の半数以上が就職契約時に多額の借金を強いられるので、束縛された状態(= debt bondage)にあると言います。その被害者数は女性より男性の方が多い傾向にあります。
アジア太平洋地域内では北朝鮮、アフガニスタン、パキスタンでの発生率が最も高く、発生件数としてはインド、中国、パキスタンで最も高く同地域内の6割を占めると推計されています。それと比較すれば少なくはありますが、日本国内でも現代奴隷の状態にある人は37,000人存在すると推計されており、決して国内に特化した活動を行なっていた場合でも無関係な問題ではありません。
(強制労働の実態と各社の取り組みに関しては、「全ての人が安心して働けるように:強制労働と向き合って」のインタビュー内容もご参照ください。)
IAST APAC:アジア太平洋地域に根差した、現代奴隷に関する投資家イニシアチブ
現代奴隷の課題は投資を行なう一機関が単独で取り組むには複雑かつ大きすぎる課題であり、コーラン氏に紹介頂いたとおり、アジア太平洋地域にとって非常に深刻な問題です。このような背景の中、同地域内で活動する投資家がこの共通課題に協力し合って取り組めるよう、IAST APACが発足されました。そう説明頂いたのは、IAST APACの発起人でもあり、オーストラリアでの責任投資活動を先導し、約1,500億米国ドルの資産運用をグローバルで行なっているFirst Sentier Investors社の責任投資部署Deputy Global Headを務める ケイト・ターナー(Kate Turner)氏です。
IAST APACは、その活動の方向性を決定するSteering Committee(運営委員会)の下、現代奴隷、労働者の搾取および人身売買の現状を発見し、対応し、予防することを目標に活動しています。First Sentier Investors社をはじめとした同地域内に拠点を持つ投資家の他に、IAST APACの事務局およびナレッジパートナーとして現代奴隷への知見を持つ専門団体としてWalk Free財団 およびLiechtenstein Initiative for Finance Against Slavery and Trafficking(金融を通じて奴隷制と人身売買に取り組むリヒテンシュタイン・イニシアチブ- FAST)を迎えています。
現在、日本からは三菱UFJ信託銀行、りそなアセットマネジメントを含み、7.8兆AUD(2022年8月30日現在、約5.4兆USD)の合計運用残高を代表する37の機関投資家が当イニシアチブに参画しています。
IAST APACの参加投資家は主に二つの活動を実施しています。
一つ目は投資家によるアドボカシー活動です。現代奴隷の課題に取り組むためには、後押しするための法制度が必要と考えており、こちらの活動の大半は各国政府への政策提言に割いています。同時に、投資家として投資判断を行なうための的確なデータをどのように入手できるようにするかも、アドボカシー活動の一貫で取り組んでいます。もう一つは、投資家同士の共同エンゲージメント活動です。
APAC初、オーストラリアの現代奴隷法と、投資家との関わり
IAST APACの設立のきっかけにもなったのは、カリフォルニア、英国に続き、2018年にオーストラリアで決議された現代奴隷法でした。
オーストラリアの法案は、元々英国のものを参考にしたものです。オーストラリアの企業やその他の組織が、自社事業およびサプライチェーンを通じて効果的かつ積極的な現代奴隷への対応を行ない、その内容を開示することを目的としています。一定の規模に達した企業は、年に一回、現代奴隷に関する取り組みを報告する義務があります。提出書類には、執行役員など組織の責任者の署名、取締役会など主たるガバナンス体制の場で承認されていることが求められています。
主な報告内容には以下があります:
・報告義務のある企業の組織構造、事業およびサプライチェーンの説明
・自社事業およびサプライチェーンにおける現代奴隷リスクの有無
・上記リスクの評価、対応、デューデリジェンスや救済方法
・行動の効果測定方法
法案発効後の1,2年は、各社はビジネス内での現代奴隷を発見するための方針と体制作り、取り組む上での軸となる基準、そして従業員やサプライヤーにおける認識向上を目的とした研修を中心に行なっていました。当法案の報告義務の最後の要件にあたる「行動の効果測定」はようやく取り組みが開始しているところだとコーラン氏は言います。
現法案は、二つの側面から投資家と関わりを持つこととなります。
1つ目は、報告義務のある組織としての関わりです。一定規模に達した投資機関は、法案に基づく報告義務が発生し、自家運用の場合は自社事業として、外部委託の場合はサプライチェーンという扱いで、ポートフォリオにおける現代奴隷関与を管理する必要があります。
2つ目は、各社が報告した情報の利用者としての関わりです。運用する投資家として、以下のような政府主導のプラットフォーム(登録簿)で報告された情報を使い、企業のESG分析や企業とのエンゲージメントを実施することができます。
このように、オーストラリアの現代奴隷法は、アジア太平洋地域での法制化、取り組みと開示を進める上での一つのベンチマークと言えます。一方、この法律にも改善の余地があり、その改善に向けてIAST APACが担える役割があるとコーラン氏は言います。
隣国に目を向けると、ニュージーランドでは現代奴隷に関する法案をドラフトし、コンサルテーションを行なっています。その案の中には、大手企業によるデューデリジェンスの実施の義務化が含まれており、報告項目の一つとして選択出来るオーストラリアの現法案よりも一歩進んだ内容となっています。
現在、オーストラリアでは現法案の見直しを行っており、ニュージーランドと同様の義務化を求めるなど、パブリックコメントに参画することを通じて、IAST APACの投資家として強化を期待するポイントを挙げて欲しいとコーラン氏は言います。
現代奴隷を発見した企業を評価する共同エンゲージメント
一般的に、投資家が共同エンゲージメントを行なう場合、1)どの企業に対して、2)どのような内容について、3)どのような体制で実施していくのか、を決めていきます。
1)の対象企業は事前にルールを厳密に決めることが多いですが、IAST APACでは、「現代奴隷をテーマとしてこの企業に働きかけを行ないたい」、と参加している投資機関が選んだ企業をエンゲージメント対象に定める、柔軟な方法を取っています。
その結果、現在では一般消費財、生活必需品、テクノロジー、そしてヘルスケアの4業種における24社が対象となり、各対象企業に対して1社のリード投資家と最大5社のサポート投資家がつく体制になっています。IAST APAC自体は企業調査を実施している訳ではないため、こうした対象企業に柔軟性を持たせることができます。
2)のエンゲージメント内容は、IAST APAC独自の現代奴隷に関するエンゲージメントの詳細のガイドラインを作成し、以下の4つの基本的な質問項目に基づき、各企業の実態に合わせてより深堀したエンゲージメントを実施しています:
・過去12か月の間で自社事業またはサプライチェーンの中で現代奴隷を発見しているか
・発見していない場合は、発見するためのプロセスを明確に説明できるか
・発見している場合、その現代奴隷による被害者への救済策は提示されているか
・同様の現代奴隷の状態が生じないよう、事態を報告し予防策を講じているか
ここで興味深いのは、「自社事業やサプライチェーンの中で現代奴隷を発見している」と回答する企業を投資家が好評価している点です。現代奴隷の課題が同地域で広範に存在している背景を考えると、「発見していない」と回答した企業の方がきちんと課題を向き合っていないのではないか、立派な方針も形式的なものに留まっているのではないかと、むしろ投資家に懸念を抱かれるためです。
ナレッジパートナーの専門性活かし、共に成長するIAST APAC参加投資家
IAST APACでは、既存の現代奴隷に関する専門性を持った機関を「ナレッジパートナー(Knowledge Partner)」として運営体制に取り込むことで、効率的、効果的に活動を行なうことを目指しています。ナレッジパートナーは、以下のように多面的な役割を担っています:
はじめに、IAST APACの活動の方向性を決める運営委員会に参加し、イニシアチブ全体の戦略策定に寄与しています。その際、IAST APACの事務局の役割も担っています。次に、ナレッジ・イベント・パイプラインと呼ばれる、当該テーマにおいて投資家の参考となる関連イベントの年間カレンダーを作成しています。
そして、IAST APACの活動内容にすぐに活用できる知識が蓄えられるよう、ナレッジパートナーが直接イベントを企画・提供することもあります。例えば、オーストラリアの現代奴隷法の見直しに対して、パブリックコメントの提出に向けて参考になるよう、異なる立場のスピーカーを呼んだイベントを催しました。また、企業エンゲージメント活動の一助となるよう、アジア諸国で活動する三つの異なる市民団体を招き、電子機器セクターにおける現代奴隷のリスクに関して紹介して頂くイベントなどを企画しています。
こうしたナレッジパートナーの協力は、まだ取り組み始めたばかりの賛同機関には特に役立っています。今回の対話には2021年2月にIAST APACに新たに加わった三菱UFJ信託銀行、責任投資推進室の中村政之氏にもご参加頂き、イニシアチブに参加する利点についてお話頂きました。
「第一に、現代奴隷に関する基本的な知識から、各国法規制の実態、各セクターやサプライチェーンにおけるリスク、といった知見を得ることができました。次に、現代奴隷に関する効果的なエンゲージメントを実施するためのフレームワークやツールをIAST APACが提供しているので、エンゲージメント体制を整えやすくなったことが挙げられます。
そして三つ目に、四半期毎に開催される全体会議では、他のメンバーとエンゲージメントの経験や直面する課題について話し合う機会があり、自社のエンゲージメントの向上に役立っていると考えています」
現代奴隷に取り組む上での3つのメッセージ
最後に、改めて現代奴隷にビジネスとして取り組む意義、そして取り組む日本の企業・投資家へのメッセージをターナー氏に話して頂きました。
「リスクを発見し対応するためにかけたコストは、そのリスクを無視した時の代償に比べて安いという証拠が蓄積されています。労働者を搾取する形で利益が成り立つビジネスモデルは決してサステナブルではないです」とターナー氏は言います。
また、日本・オーストラリアの投資家双方において、投資対象企業が新興市場国で活動している場合だけでなく、サプライチェーンでも、現代奴隷の課題と向き合う必要性を認識することが重要であると強調しました。
最後に、「現代奴隷は、単なる『社会課題』ではなく、企業のガバナンス体制に関わる問題です。特に私たちが低炭素経済への移行を進める中、現代奴隷の危険性の高い分野での企業活動が加速する可能性もあります。気候変動に取り組む一方、現代奴隷の状態を更に増大させないよう、細心の注意を払う必要があります」と、現代奴隷を孤立した課題として考える危険性について強調し、今回のインタビュー対談を締めくくりました。
編集後記(岸上有沙)
欧州発の多国間協力型の投資家イニシアチブが多い中、IAST APAC APACはアジア太平洋地域で発足し、同地域の課題に取り組むために活動していると言った特徴のあるイニシアチブとして、取り上げました。
今回のインタビューでは水産業における課題は議論しませんでしたが、以前『The Outlaw Ocean』を読み、幾重もの自由を奪われ束縛された「奴隷」状態にある労働者が今も多く存在することに衝撃を覚えたことを思い出しました。実際、対談の中で紹介されたレポート、Global Slavery Index 2018によると、アジア太平洋地域の中で水産業を通じて現代奴隷のうちの「強制労働」のリスクへの露出が最も高い国の一つとして日本が挙げられています。
普段の生活では、こうした深刻な搾取の被害にあっている現代奴隷を目の当たりにする機会が少なく、消費者として懸念を抱くことも、投資家として危機感を持って行動に移すことも、まだまだハードルが高いと、今回のインタビューを行う中で改めて感じました。私たちの衣・食・住・エネルギーを支える製品の裏に存在し得る現代奴隷リスクを認識するきっかけを、どのように増やすことができるのか。私自身も課題が残るインタビューとなりました。
尚、IAST APACの活動の進捗や事例を含めたアニュアル・レポートが初めて発行され、今回紹介されたGlobal Slavery Indexレポートの最新版もまもなく発行される予定です。4年間のうちにどのように現代奴隷の世界の実態が変わったのか、上記で紹介した仕組みの上で実際にどのような企業エンゲージメントが行なわれたのか、合わせて今後ご確認頂ければと思います。
取材日:2022年8月18日
※ナビゲーター及びゲストの肩書は当時のものです
IAST APAC(Investors Against Slavery and Trafficking)について
- IAST APACのURL
- https://www.iastapac.org/
- 創立年
- 2020年
- 署名機関(LobbyMap)
- https://www.iastapac.org/about/
- 対象となるセクター
- 一般消費財、生活必需品、テクノロジー、ヘルスケア
Navigator:岸上有沙 Arisa Kishigami
2007年からサステナブル投資に関連した仕事に従事。2015~2019年にFTSE Russellのアジア・環太平洋地域ESG担当者を経て独立。現在は、JSIF理事、早稲田大学非常勤講師、Chronos Sustainability社スペシャリスト・アドバイザー等を通じて、企業とサステナブルなお金の流れの好循環作りに携わる。
「当たり前の企業活動として、関わる環境や社会に配慮した経営を行う企業を応援するお金の流れを作りたい。」
そうした問題意識を元に、投資判断ツールを提供する立場から、ESG評価構築、企業対話、スチュワードシップ調査など、2007年よりサステナブル投資に携わってきました。
いま、10年、20年前に比べて経済や金融活動の中で当たり前に環境や社会に関連した「ESG」要素を意識する様になったことは嬉しいことです。
一方で、それが単に高評価を得るためや時流だからではなく、それぞれのESG課題になぜ取り組む意義があるのかを考え、それぞれの立場で取捨選択していけることが大切だと思います。
星の数ほどESG課題が存在する中、複数の投資家の声を代表する様な個別課題に取り組むイニシアチブが各国で活発化しています。
日本の企業は、投融資関係者は、どの様にこうした課題を認識し、取組み、評価され、イニシアチブに関わっていくべきなのか。
言語の壁、文化の壁、発信の仕方の違い等により、各国投資家の関心および日本の投資家・企業の考えが上手く巡り合っていないこともあるかもしれません。
このNarrativeを通して、そうした各国イニシアチブへの理解を深め、賛同・参加・実践・建設的な意見を反映させるひとつの橋渡しとなることを期待しています。